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弁当の思い出 [身辺雑記]

出版社に勤務する知人から「すごい弁当力」(佐藤剛史著・五月書房刊)という書籍が贈られてきた。それによれば2009年時点で小学校・大学を含め全国500校で「弁当の日」が設けられている。
世の中不況で外食が減り、家ご飯が増加中だとか。サラリーマンは安いコンビニ弁当で昼食を済ませ、生活防衛に汲々としている。

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コンビニ弁当も悪くはないが、フライのような油系のおかずが続くと、さすがに「もういいや」となる。味もさることながら、作り手の見えないコンビニ弁当には肉親のあったかさを感じることが出来ない。手作り弁当には母や、妻のぬくもりがつまっていて、食欲+愛情を満たしてくれる。

団塊世代の小学生時代は学校給食とともに歩んできたから、あまり弁当の記憶はない。思い出としての弁当は遠足と運動会に強く結びついている。海苔巻き、稲荷、そしてゆで卵が定番でそれ以外の食べ物はあまり思い出すことが出来ない。遠足や運動会は母が付き添い、あるいは応援に来ていて、一緒に弁当を食べたので強く印象に残っている。

中学時代は学校給食がなかったので毎日弁当を食べていたはずだが、なぜか記憶からストンと抜け落ちている。なぜなのだろう、不思議だ。
確か中学には校内に小さなスペースの売店があって、文房具と一緒に昼どきはパンが売られていたことを良く覚えている。弁当より菓子パンのほうが印象深かったのか?それも理由の一つかもしれないが、おそらくそれだけではない。

中学生時代、特に男は反抗期と親離れの時期である。小学校の遠足や運動会の弁当は母親と重なるが、中学時代は親が来ることがなかった。毎日弁当を食べていたはずなのにその記憶がほとんど皆無なのは弁当と母親が結びつかないからか。

コンビニ弁当は利便性と経済性だけで、作り手と全く結びつかない。母親のぬくもりや、結びつきとは無縁の弁当だけに、記憶に残ることはないだろう。残るとすれば逆の負の記憶だ。

反抗期も穏やかに落ち着いた高校時代は反対に弁当の記憶がもっとも鮮明に残っている。弁当の中身もしっかり覚えている。高校受験を潜り抜け、ほっとしていたこともあり、母親を気遣う余裕も出てきたのだろう。
大概毎日、早弁をしていた。2時間目の終わりにはきれいに弁当を平らげていた。

我が青春は弁当とともにあり、そんな印象を強く持つ。その母も今年3月で93歳。頭もしっかりしている。こちらが一足早くぼけそうなくらいだ。

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コメント 5

ひろきん

ちょうどお弁当の話題をつたない文章でUPしたところでした。
私も高校時代のお弁当の記憶が一番鮮明に残っています。
今になって、あの母親の笑顔の意味がよく分かります。
by ひろきん (2010-02-11 00:40) 

nougyoujin

ひろきんさん
自分が作ったお弁をきれいに食べくれると、とても幸せな気がしますよね。食は重要なコミュニケーションですから、作るほうも、食べるほうも大事にしないとね。

by nougyoujin (2010-02-11 09:42) 

侘び助

息子家族が帰省し帰る日はいそいそと
お弁当作りを・・・お手拭き・飲み物気を使い
おにぎりの海苔をを忘れたことも・・・(パリパリをの気遣い裏目に)
by 侘び助 (2010-02-11 11:20) 

おじゃまま

九十三歳!いつまでもお元気で…。
by おじゃまま (2010-02-11 15:47) 

qooo

良いお話です〜。
お母様、お元気そうで、何よりです。

by qooo (2010-02-14 06:50) 

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