世界遺産 マラッカ<マレーシア旅行・5> [旅行]
私が「海峡」という言葉から連想するのは写真家、藤原新也だ。
門司で旅館業を営む家に育った藤原新也は関門海峡の対岸の町、下関がどのように映っていたのだろう。本州と九州を切り裂くように海が横たわっている。藤原の幼い頃の眼には対岸の町は遠い未知な別世界のように見えたのかもしれない。
「全東洋街道」に出てくる「ボスホラス海峡」は東洋と西洋がぶつかり合う最前線の位置にある。海峡つながりだが、「ボスホラス海峡」は大人の藤原新也の目にはどう見えたのだろう。
KLから高速バスで世界遺産の町「マラッカ」を訪れたが、その目的の一つはマラッカ海峡を見ることだった。なんの予備知識もないまま「マラッカ」に来てしまったが、「マラッカ」から眺める海峡はとてつもなく広かった。対岸のインドネシアは影も形も見えず、私が抱く「海峡」のイメージからは程遠かった。
思い出せば、前日の蛍観光の前に立ち寄った、野生のサルが住み着いた日本版・高崎山のような小高い丘にたったとき、海に沈んでいく太陽を見たのも、マラッカ海峡であった。
インドネシアとマレーシアを隔てる海峡は長くて対岸も望めないほど幅も広い。
世界遺産に指定された「マラッカ」の町並みは、西欧列強に翻弄された町の歴史遺産はほとんど残っていなくて、「海峡の町」の印象があまり感じられない。
中国人街を時間をかけて歩き回ったが、これっといった強烈な印象は感じられなかった。
同じような土産物屋、食堂が軒を連ね、予備知識のなさも手伝って無目的に歩いていた。
奈良や京都を歩いていると、千数百年の歴史があちこちに凝縮していて、一木一草に歴史を連想して、いくら時間があっても見足りない。
日本は見るべきところが五万とあって、観光資源に恵まれた国であることをつくづく実感させられた。
門司で旅館業を営む家に育った藤原新也は関門海峡の対岸の町、下関がどのように映っていたのだろう。本州と九州を切り裂くように海が横たわっている。藤原の幼い頃の眼には対岸の町は遠い未知な別世界のように見えたのかもしれない。
「全東洋街道」に出てくる「ボスホラス海峡」は東洋と西洋がぶつかり合う最前線の位置にある。海峡つながりだが、「ボスホラス海峡」は大人の藤原新也の目にはどう見えたのだろう。
KLから高速バスで世界遺産の町「マラッカ」を訪れたが、その目的の一つはマラッカ海峡を見ることだった。なんの予備知識もないまま「マラッカ」に来てしまったが、「マラッカ」から眺める海峡はとてつもなく広かった。対岸のインドネシアは影も形も見えず、私が抱く「海峡」のイメージからは程遠かった。
思い出せば、前日の蛍観光の前に立ち寄った、野生のサルが住み着いた日本版・高崎山のような小高い丘にたったとき、海に沈んでいく太陽を見たのも、マラッカ海峡であった。
インドネシアとマレーシアを隔てる海峡は長くて対岸も望めないほど幅も広い。
世界遺産に指定された「マラッカ」の町並みは、西欧列強に翻弄された町の歴史遺産はほとんど残っていなくて、「海峡の町」の印象があまり感じられない。
中国人街を時間をかけて歩き回ったが、これっといった強烈な印象は感じられなかった。
同じような土産物屋、食堂が軒を連ね、予備知識のなさも手伝って無目的に歩いていた。
奈良や京都を歩いていると、千数百年の歴史があちこちに凝縮していて、一木一草に歴史を連想して、いくら時間があっても見足りない。
日本は見るべきところが五万とあって、観光資源に恵まれた国であることをつくづく実感させられた。
タグ:マラッカ 世界遺産 海峡
2010-03-02 23:12
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コメント(5)
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それでも写真をみると、
美しいって思いますが・・・。
あっ!
中国と比べちゃってるかも・・・(@@)b
by 淳司 (2010-03-03 05:20)
マラッカ海峡は、日本のタンカーなどが頻繁に行き交う狭い海峡だと思っていたのですが・・・。
by 斗夢 (2010-03-03 07:32)
行ってみたいです。。。
by cjlewis (2010-03-03 10:53)
異文化との出逢いと……期待と失望……海外ではその繰り返しのような
気がします……観光行政の違いもあるのかも知れませんが……。
by 漢 (2010-03-03 11:33)
マラッカ海峡といえば海賊ってイメージがありましたが、
今海賊っていえばシーシェパードを思い浮かべます、、
by kiyotime (2010-03-10 00:54)